【記事】論文発表「日本古来の育児法とベビーヨガ」池りょんみ

02.27


日本古来の育児法にもとづいたベビーヨガ          池玲美

 

 はじめに

  私は、ベビーヨガを学ぶ中で、あることに気づきました。
 それは・・・このプログラムをより深く理解するために、かかせることのできない子どもの発育について、詳しく調べるうちに、私達、現代人が忘れかけてしまった、日本の文化、風土にあった子育て法、親子のふれあい方、そして自然のリズムと調和した生き方がこのベビーヨガのなかに、たくさん詰まっているという発見です。
 その中でも、このプログラムにおいて、重要なカギを握る、子どもの「育ち」と「遊び」について、詳しく掘り下げてみました。

 現在、日本の社会の中で、子どもたちの育ちにさまざまな問題が起きています。
毎日のように報道されるテレビ・新聞紙上に現れるいじめの問題や未成年による犯罪事件
中でもいじめが年々低年齢化してきている傾向にあると伝えられています。子どもたちの
心とからだの育ちに大きな問題があると言わざるをえないデータも近年出ています。
 文部省の調査結果によると、運動能力測定から 子どもたちの体力や柔軟性・敏捷性・などの調整力の低下と肥満傾向の増加などが指摘されています。
 このような問題は、子どもたちの遊びを保証する時間・空間・人間関係の欠落・以前には存在した豊かな自然環境が破壊されていることが子どもたちの成長に大きな影響を及ぼしていると考えられます。
本来ひとは、自然の中で育つ生き物です。自然現象や人間の生理現象の根本には、自然の
リズムが存在し、このリズムに沿っている状態が望ましい生活と言えるのです。子どもの
健康な育ちにもリズムの存在を意識し、大切にいかすことが、今の時代必要とされています。さらに、二十一世紀を生きる子どもたちが、健康で生きている喜びを実感するために、必要なこと、それは「子どもたちがすべてを忘れて遊びに没頭できる生活を保つこと」。
 子どもが輝くとき・・・それは遊びによって実現できるものです。子どもの遊びとはどのように考えるべきか、また子ども心とからだを活性化するリズムを伴う遊びとして日本文化の中で育まれた伝承遊びや表現遊びの重要性について、そして実際に私が勤めている保育現場で実践した遊びの記録をもとに、子どもの「育ち・遊び」とベビーヨガの関係性について、考えていきたいと思います。

 

  1章 子どもの育ちとリズム
 
  1. 自然界とひとのリズム
  ベビーヨガは人間の一日の「リズム」を体験できるような内容に構成されたプログラムです。はじめに呼吸を整えて、身体を目覚めさせ、お母さんの優しいタッチで子どもの肌に触れマッサージを取り入れながら、ヨガの動きを与えることで、お互いの心と体をときほぐし、さらに親子で楽しめるシークエンスを行い、身体をしっかり使った後、最後は安らぎのポーズ(シャバアサナ)でお休みしていきます。この流れはまさしく、朝日が昇り、身体が目覚め、日中の活動をたっぷり行った後、太陽が沈み、夜がふけるとともに眠りにつく・・という自然なリズムに添ったのもといえるでしょう。又、ベビーマッサージを行ううえで一番大切なことは、お母さんの呼吸とリズムです。ここでは、この「リズム」と「育ち」の深いつながりについて紹介していきます。

リズムとはある規則性をもった繰り返しの中に存在するものであります。自然の中には人間の想像をはるかに超えるリズムが存在します。まずひとつ、私たちが生活している地球、これは太陽のまわりを三六五日で一周するリズムです。さらに地球は一日で一回地軸を中心に一回転しながら太陽の周りを回ります。そして地球の地軸は楕円の軌道の面に
対して、二三・五度傾いているので、軌道上の位置によって太陽の光を浴びる角度が変わり、このために日本の美しい春夏秋冬の季節が存在するのです。したがって、この四季のリズム、地球の自転による昼と夜のリズムが、私たちの生活に欠かせない規則正しいリズムを生んでいることになります。
そして月。月の満ち欠けは、二八日周期でめぐるリズムです。月の満ち欠けは、海の満ち潮と干潮のリズムであり、満ち潮のときいのちが生まれる出産の時刻となることや干潮の時刻にひとの最後の息を引き取る時刻と重なり合うと、昔から誰もが知ってる知識としてありますが、これも自然界のリズムとひとのいのちとの深いかかわりを示すものです。
日本人は特に自然界のさまざまな現象に対して鋭い感性をもっています。鳥や虫の鳴き声、
風のそよぎ、雪の動き、波の打ち寄せる音、小川のせせらぎなどにいのちを感じたり、リズムを感じたり、心を動かされて、昔から和歌や詩、絵画や舞踊に表現しています。これも自然界のリズムの存在が、ひとのいのちに触れる重要な働きをしていることがわかります。さらに、「ひと」も含めて、動物はそれぞれ身体の中に時間を感知する能力が、遺伝的に備わっています。ひとは朝の日の出とともに起き、夜がふけるとともに眠るのが、身体の自然なリズムですが、現代社会においては、深夜まで働く仕事が増え睡眠のリズムの変調をきたしている人々が増えています。規則正しい睡眠のリズムが確保されない生活が続くと私達の身体と心は不健康な状態になります。これは睡眠に限らず、食事のリズム・
排泄のリズムなども健康維持と直接関係する大切な問題です。したがって、現代社会において、人間が生まれてから最も重要な生命形成期胎児期~2、3歳頃に、子どものこころと身体を活性化するリズムを伴う日本文化の中で育まれた表現遊び、そして充分な愛情とスキンシップの必要性が改めて見直される時代になってきているといえるでしょう。

 ・誕生から六歳まで
  
 子どもが生まれてから、六歳までの育ちを子どもがどのように意識しているかという問題を、簡潔に、的確に詩に表現している詩人がいます。それは子どもなら一度は絵本で読んだことのある
「クマのプーさん」で有名なイギリスの作家であり詩人でもあるアレキサンダー・ミルミンです。彼は多くの詩を子どもの気持ちを大切にして解いてあげています。そのひとつを紹介します。

  六つになった
一つのときは、なにもかもはじめてだった。
二つのときは、ぼくはまるっきりしんまいだった。
三つのとき、ぼくはやっとぼくになった。
四つのとき、ぼくはおおきくなりたかった。
五つのとき、なにからなにまでおもしろかった。
六つにとき、ぼくは ありったけ おりこうです。
だからぼくは、ずっと六つでいたいとおもいます。

 この詩は、0歳から六歳までの育ちを象徴的に表現しています。すなわち、0歳から1歳の時期は乳時期といい、生まれてはじめて母親に出会い、また父親や家族に囲まれ、見るのも聞くこともすべてが初体験となるのです。自分はなにもできない存在ではあるけれど、母親や家族とのスキンシップや言葉かけやあやし遊びのなかで、もっとも基本的な人間同士の信頼感を築き、母親と父親とも強い絆で結ばれる時期です。
一歳~三歳は幼児前期ともいい、乳児期に育まれた信頼感に支えられて、自律と自立を達成する時期です。二歳児は、一人でしっかり歩きはじめるときで、排泄の仕方や食事の仕方や衣服の着脱など、自分でできることが増える時期ですが、まだまだ新米の域を脱することはできません。
すべて母親の愛情に満ちた世話や保護が必要でしょう。三歳は、まさに自立のとき、「自分と母親は違う存在だ」ということに気づき、意識はじめるので母親のいう通りにはならない自分を主張しはじめるのです。はっきりとした自我のめざめです。
三歳~六歳は幼児後期といい、四歳児になると運動能力がめざましく伸び、思考力や判断力も育
っていきます。したがって、自分もお父さんやおかあさんのように大きくなりたい・強くなりたいという願望が育ち、めざましい成長ぶりをみせてくれます。五歳児は、四歳の体験を踏まえて心身ともに発達し、毎日力いっぱい遊び、動きまわり、充実した生活をおくります。まさに「何から何までおもしろい」時期なのです。そして六歳になると、幼稚園・保育園でも年長組みの自覚も立派にでき、生活面でも遊びの面でも集団のリーダーとして立派な活動ができます。知識も意思も感性も確実にそして豊かになり、本当におりこうさんになるので、それで「いつまでもろくさいでいたいです」とおもうのでしょう。
このように、人生最初の六年間が人間の一生の基盤を築く大切な時期です。とくに乳児期は人間同士の基本的な信頼感を獲得することが重要な時期でもあります。親は又身近にいる大人は子どもにとって常に安心できる存在であることをしっかり伝えること、子どもが家族にとって愛されている大切な存在だということをしっかり伝えること、子どもをしっかり抱きしめてあげることがその子の今後の人生の土台となり、肥やしとなり、生きる原動力になると思うのです。
 これは、ベビーヨガを通して、今を生きるすべての親子に一番伝えていきたいことでもあるのです。

 ・生活習慣とリズム
    子どもの生活はリズムを大切に
  私達のいのちや自然界にリズムがあるように、赤ちゃんの生活にも幼児の生活にも一日の生活リズムが存在します。まず、第一に子どもの生理的なリズムを尊重するように親が意識して子どもの規則正しい生活を支えることです。子どもの年齢に応じた睡眠時間を確保すること。健康な子どもは、よく遊び、よく運動しますからよくお腹もすかせます。時間を見計らって、規則正しく食事やおやつの時間を守ること、つまり、子どもの食欲のリズムを上手にとらえて、用意すれば子どもの身体の健康にも心理的な面でも充分な満足感を与えることができます。排泄の習慣も食事と同じように、毎日子どもをよく観察して、排泄のリズムをとらえてタイミングよく子どもをトイレに連れて行くようにすれば排泄の習慣づけが効果的にできます。
 ・眠ることの大切さ
  日本では昔から「寝る子は育つ」と言われてきました。子どもにとって「眠る」ことは生命を維持するために必ず確保しなければならない重要なことなのです。子どもの睡眠時間や睡眠の質は、新生児・乳児期・幼児期とではずいぶん異なっています。子どもの成長に伴い睡眠のリズムパターンや眠りの質が変化していきます。生後間もない新生児は、覚醒と睡眠の区別がはっきりしません。その頃の赤ちゃんは眠っているようでも、手足を動かしたり、顔をしかめたり、おっぱいを吸うように口を動かしたりします。このように行動していても、起きてるのか、眠っているのかはっきりしない状態があります。しかし、ほとんどの赤ちゃんは生後数週間の間に徐々に睡眠と覚醒の境界がはっきりしてきます。どの子も夜間に、浅い眠り(レム睡)と深い眠り(ノンレム睡眠)の周期を持っており、最初の数ヶ月を過ぎると深い眠りが長くなり、浅い眠りが短くなっていきます。四ヶ月目に入ると、眠り周期はひとつのパターンを作るようになります。ひとつの周期は三~四時間で、その間からだはほとんど動かさず外部の刺激も受け付けない深い眠りが一時間あります。その前後は身体を少し動かし夢見る状態があります。そしてその四時間の周期の終わりになると、目覚めやすく、うとうとした状態になり、このとき子どもはそれぞれ特有の行動をします。たとえば、指しゃぶりをしたり、泣き出したり、独り言を言ったり、親を求めて声をかけたりします。このうとうとの状態をどのように対応するか工夫を要するところです。保育園では乳児クラスで、午睡時間は決まって必ず数人の園児は泣き出します。保育士は軽く背中を子どもの呼吸に合わせて、トントンたたいたり、そばについていたりすると次の眠りの周期に入ることができます。
 さて、ベビーヨガの知識を学んだ中に、「仙骨トントン」というものがあります。赤ちゃんの仙骨には小さな振動がありそのリズムを整えてあげることで、落ち着いて眠りに入ることができる効果のあるものですが、やはりこれもそばにいる大人がゆったりとした「リズム」で優しく、包み込むようにたたいてあげることです。相手の呼吸のリズムや鼓動を感じて、やがて安心して眠るのです。これは私が学んだのちにさっそく、現在勤める保育園のクラスの子ども達に子守唄をうたいながら実践してみましたが、驚くほど、効果がありました。毎日、眠る前に決まって大泣きしていた眠りの浅い、1歳児の子どもが、少しづつ、睡眠が安定してきたのです。お昼寝が安定すると、今度は午後の活動も盛んになり夕食も、もりもりたくさん食べてくれるようになり生活リズムが徐々に変化しました。このように、子どもの身体は純粋で素直なので、驚くほど効果が期待できることを、身近な場所で経験することができました。
 本題に戻りますが、うとうと状態を赤ちゃん自身で乗り越えていくようになると、睡眠周期は安定し眠りは長くなり、最終的には一回に八時間から十二時間近い睡眠を自分でコントロールするようになります。子どもの成長発達に睡眠は必要不可欠なものであり、毎日十分な睡眠時間を確保するように、生活のリズムを調整することが大切です。赤ちゃんが夜中に目を覚まして泣き出したとき、抱き上げるべきか、そうしてはいけないのではないかと、思い悩むお母さんがいるようですが抱くことによって甘やかすことになるといった心配はまったく無用です。泣き出したら赤ちゃんが自分でまた眠りに入るかどうか、一、二分待ってみます。それでも泣き止まなかったり、激しく泣くようなら、本当におびえきってしまわないように赤ちゃんのそばへ行きなだめたり、抱いて安心させることです。なぜならば、赤ちゃんが大きくなって、自分にはいつもこうして守ってくれる大人がいるのだということをはっきり確信できるようになれば、赤ちゃんは母親がいつもそばにいなくても自分の心をコントロールすることができるようになります。また、深い眠りを確保するためには、子どもの昼間の生活が、楽しい運動量のある「遊び」で満たされることが大切です。十分な遊びは心も身体も満足し、深く長い睡眠が確保できます。それは、また、次の日の活発な遊びへの意欲へとつながり、子どもの生きる喜びにつながるのです。この「遊び」についてはのちほど、詳しく紹介していきます。
 ・食事のリズム
   子どもの生命を維持し、よりいっそう健康な身体を育てる基本となる食事は、子どもの生活リズムと生理的リズムをうまくとらえて食事を用意するのが、子育て中の大切な気配りです。まず、食事を感謝して楽しく食べる気持ちを育てること。よく遊び十分お腹をすかせて、食事を待ち焦がれ、何でも美味しく喜んで食べ、食事の時間は家族団らんの楽しい時間でありたいものです。食事を用意していただいたこと、豊かに食べられることに感謝の念を持つことは生きていく上でもっとも大切です。今、地球上で食糧不足に悩む国々、栄養失調でいのちを落とす子ども達がたくさんあることを思い出し、大人も子どもも日本の豊かな食事に感謝していただくことです。幼児期の食事は、一日四回と考えるのが望ましい食事です。子どもの胃は小さく、一回の食事の量では、活動量に見合うだけ量が摂取できません。朝・昼・夜の三回とその間に一回食事を取ります。これがおやつです。おやつは三回の食事では栄養的に足りない食品を取り入れるものです。規則正しくタイミングのよいリズムを習慣にすることです。

 

2.からだの発達
   
   身体の発達発育が、一生のうちでもっともめざましい成長をみせるのは乳幼児期です。ベビーヨガを指導する、また、理解するために不可欠な、この時期の子どものからだの発達について紹介していきましょう。

 

   新生児の運動機能
 新生児は自分の考えや意思でからだを動かすことは不可能です。しかし、刺激に対して反射的に運動する能力が、生まれながらに備わっています。これを原始反射といい、次の四つは代表的な反射です。
 吸飲反射・・・頬に軽く指を触れると口をあけたり、頭をまわす。(~八ヶ月ごろ)
 握り反射・・・手のひらを圧迫するとしっかり握る。親指を使わないのが特色。(四ヶ月ごろ)        
 原始歩行反射・・・垂直に支えて身体を少し前に傾けるとリズミカルに歩く。(~六週まで)
 モロー反射・・・足を持って身体を持ち上げると両腕をのばして広げ、何かにだきつくようにする。仰臥位であたまを30度持ち上げ、すっと降ろすと手足をのばす。(~六ヶ月まで)
 次に、原始反射が消失する四ヶ月ごろから、二次応答といわれる反射が出現します。
 パラシュート反射・・・垂直位で身体を急に前に倒すと、支えるように前に手を出す反射で、ある動きに対して応答するものである。
 これらの運動は、一二ヶ月までに消失していきますが、反射の出現や、消失の時期は神経系の発達の状態を示しているので正常反射をよく知っておくことです。また反射運動から起きる外界からの刺激を受け、それに対して応答する運動がおきるという「刺激」→「反動」の連鎖の基盤を作る重要なものです。

  乳児の運動機能                                                                        
 新生児の運動は反射運動によるものですが、大脳や小脳の発達によって随意運動として自己統制された運動が増加していきます。すなわち乳児は、頭・体幹・上肢の順番で自己統制ができるようになり、その後全身運動へと進み、支えられての座位、ハイハイ、つかまり立ち、支持なしの直立、独立歩行となります。

 

 幼児の運動機能
 歩行が完成し走れるようになると三歳で走る動作が安定し、跳躍運動に興味を示します四歳児では、大筋 活動中心にほとんどの運動ができるようになり走る・跳ぶ・投げる・調整力などの運動機能の独立化がみられます。五歳児では、指先の感覚や小筋運動との協調性が発達し、目と手の協応動作も巧みになり、ボールをうまく受けるようになります。また、リズミカルな運動も四~五歳にかけて発達します。六歳では、運動能力全般にわたりよく発達し、リズム感・平衝感覚・巧緻性も目に見えて進歩します。
(全身運動の発達基準を表1に示します)
    
 

 

 

年齢                    全身体的運動 

1歳    ・一人歩きができる・一人で走れる・ボールをけるよりはたたく

      ・物につかまらず敷居をこえる。

 

2歳   ・転ばずに走る・ゆっくり階段を昇り降りする(つぎ足)・大きいボールをける

      ・つま先であるく・両足をそろえてウサギとびをする

 

3歳   ・交互に足を出して階段を昇り降りする・三輪車に乗る・音楽に合わせて歩く

            ・30cmの高さから飛び降りる

 

4歳    ・スキップをする・片足たちができる・三輪車で走る・階段を走って昇り降りする

      ・ボールを上手投げで投げる

5歳   ・片足跳びをする・ 平均台を足を交互に出して歩く

6歳    ・ 平均台の上で三秒ほど片足立ちする・いしけりやまりつきをする・なわとびをする   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

   

   

   

   

   {参考文献}
   「いのちとリズム」柳沢桂子
   「乳幼児の運動遊び」近藤充夫監修   

 

 第2章 子どもにとって「遊び」とは何か

   ・・・「ベビーヨガは、親が子に与えるヨガ、親は身体で感じるヨガの効果を子と分かち合う、それは親と子が一体となって楽しむ時間なのです」・・・(ベビーヨガ講師養成プログラム教本1より)
 

  小さな赤ちゃんにとって、マッサージもヨガも大好きな人(ここでは親、または養育者とあてはめてみましょう)と行う身体を使った「遊び」と考えてみましょう。ベビーヨガは毎日触れてあげることで、伝わるぬくもりや愛情は、言葉で伝えられる以上のものがあります、誰でも、いつでも、シンプルに、まっすぐ愛情を伝えることができる、楽しい「遊び」とイメージできるのではないでしょうか。いつの時代も、子ども達は、遊びから様々な経験と知恵を身体と心で感じ取り、学び、日々成長し大人になるのではないかと思います。第2章では、子どもの発育にかかせないこの「遊び」と、今を生きる子ども達がおかれている遊びの現状をピックアップしていきます。       
   
 

1.「遊び」の持つ意味
  
  まず、「遊び」の語源から調べたところ、漢和辞典では「のんびりする意の語源(悠)からきている、のんびり歩く意」とあります。文学や芸術の世界でいえば、「人生から遊離した美の世界を求めること」、機械の隙間が空いていて「動きに余裕のあること」などにも用いられています。この語源からしても、子どもの世界は、もともと悠々として、のんびりと、ボーっとした、余裕のある状態をいうのではないでしょうか。
 最近、保育所、幼稚園での自由遊びの時間に何をして遊んだらよいのかわからない子どもも出たりするという、職員の声を実際耳にすることがあります。子どもの世界に、統制・学習・教育といった外発的なものが入り込みすぎて、本当の余裕(遊び)が失われつつあるものを事実として見ておかなければならないといけません。そこで、子どもにとって遊びとは何かをもう一度考え直す必要があります。遊びは子どもの成長発達において必要不可欠な活動として一般に理解されているますが、少子化がおこり、現代家族がどんどん小家族化したり、テレビ・ゲームに代表されるような子ども文化が大きく変質しています。けれども、次のように考えてみたいと思います。遊びとは本来、無目的で意味のない子ども固有の力動的な活動であって、その遊びは固体内で連続して捉えたときのみ、意味を持つものだと考えます。つまり、遊びはひとつの物語を形作っているわけです。
 ここで、具体的な例をあげましょう。
  砂場の中で一人で遊ぶ子どもがいます。彼がどんどん作り出す砂のどろまんじゅうは、それ自体の意味しかもちません。昨日、おばあちゃんが作ってくれたおまんじゅうをぼくも、たくさん作るのだ!あるいは食べたいのだ!というその子のどもの物語を読んだときに、はじめて意味を持つ行動であると考えることができます。ですからそれ自体は社会的な意味を象徴するものではありません。しかし、このような砂場での遊びは間違いなく現ぜんしていない物や出来事を表象的に表している行動ですから、その行動(遊び)には立派な文脈が形成されているといえます。年齢と共に成長する過程で子どもの遊び方にも大きな社会的意味を持ち始めます。同じ無目的な遊びでも、固体間(仲間)で展開されれば、きちんとした意味を持つようになるのです。
 今度は二~三人の子ども達がトンネル遊びをしています。共同して山を作り、共同して地固めをし、共同して穴を掘っていますが、そこには異なった身体のリズム(テンポ)を持ち、異なったイメージを持った子ども達が同一リズム、イメージでルールを作って共同作業すれば、壊れにくくて立派なトンネルができるのだという、学習をしていきます。したがって共同遊びが持つ意味は大きいといわねばなりません。
以上のような二つの視点から、私達は遊びを捉えてみることができるのです。そして、このように見ていくと、子育てや、保育における「遊び」の意義も少し見えてくるのではないでしょうか。それらは経験的にも・実験的にも発達に大きな影響を持つことがわかってきました。したがって、子どもの発達に必要不可欠であるという意味が理解できるのではないかと思います。

 

 
 -遊びの発達的特徴

  子どもたちの発達段階や、年齢によってどのような遊びに興味を持ち、成長を遂げるかを知ることは、まだ、言葉の発達が未熟な乳幼児を理解するうえで、そしてヨガクラスを行っていく上でとても大切なことです。

 人が発達し一定の社会生活を送るために必要不可欠な能力が遊びを通して養われるといいます。そこで、遊びの分類の仕方についてもさまざまな試みがなされていますが、ほとんどが子どもの発達に即したものになっています。つまり、子どもの年齢(発達段階)に見合った遊びがあり、発達の観点から」遊びを分類したものに「○○遊び」という名称がつけられています。まず、出世時から乳児期全般にわたってみられる感覚運動的な「機能あそび」にはじまり、単純な「模倣遊び」へと進み、やがて、仲間と一緒になって同じイメージの中で遊ぶ「役割遊び」(ごっこ遊び)へと分化していきます。分類名は異なるものの、この図式は今日ではほぼ一般に認められています。

 

  (1)機能遊び・・・乳児が手足の運動を楽しんだり、音のする方向へ関心を集めたり
           視覚の中の様々な変化に対応して遊んだり、探索行動に見られる
           ように、身体的機能の発達に即した遊びをする。
           例)空吸い、手吸い(指しゃぶり)、ガーゼやそでを吸う。
  
  (2)模倣遊び・・・やがて、遊びに物(玩具=道具)が介在。感覚運動的な段階から
             イメージを発達させた幼児は、その子が抱く想像や思考を行為に
             移しかえるときに、この遊びとなって現れてきます。一個の積み木
             が車や飛行機になり、さらにいくつかの積み木をあわせて山・家を
             構成して遊ぶ。
             例) 積み木遊び、ブロック遊びなど。     

  (3)役割遊び・・・さらに、物でなく他者が介在します。もともと役割とは、他社が自分
             にどのような行動を期待しているか、また逆に、自分はどう行動す
             れば他者から受け入れられるか、自己を認知することをさしている
             が、このような心の性質は、発達の初期段階では遊びを通じて成さ
             れるのもと考えられる。その遊びが「ごっこ遊び」で代表される役割
             遊びである。「お母さんごっこ」で母親を演じる幼児は、単にモデリン
             グの対象としてのお母さんを演じるのではなく、母親に期待されてい    
             る、あるいは期待されていない行動型(役割)について、すでに
             認知していることを意味する。
    
 
 -あやし遊びの大切さ
 
  子どもがよく遊ぶ生活を送れるかどうかは、乳児期の親と子のコミュニケーションがうまく
とれたか、また親子の信頼関係が築かれているかという問題が基本になります。つまり、この時期の多彩で自発的な活動そのものが「遊び」であり、それはさらに微笑みかけてあやしてくれる母親や、相手をしてくれる身近な人との遊びへと発展していき、シンボル機能を使った遊びが認められ、やがてはルールを伴った遊びてと発展していくのです。乳幼児の運動のリズムも心の発達にとって重要なものです。正常な子どもの筋肉運動は心によって統制され、心内の規則に従うために、独自のリズムを持つといいます。このリズムの活動は突然生じるものではなく、その基礎は子どもが未だ自分の身体をコントロールできないときからすでに始まっています。母親に抱かれ、あるいは背負われも、文字通り母子一体の状態でその呼吸、振動を感じる時から始まっているのです。リズミカルなあやし遊びの重要性については、生命の根源にある立っていて、しかも乳児が人や物との関わりを求めていく姿の原型がそこにあるように思われます。乳児期のあやし遊びが次の段階としての人やおもちゃと関わって遊ぶ能力の源になっていると考えられます。赤ちゃんは、身近な人や物の動きを追ったり、指しゃぶりや自分の手や足を見つめて触ったりして、一人で感覚遊びを楽しんでいますが、母親や大人とのあやし遊びは、リズミカルな運動・歌・豊かな表情を伴い、顔と顔を見合わせて表情を読み取り、心と心を通わせて遊ぶという活動です。
 あやし遊びは人と関わりあう原点であり、また人と関わりあって遊ぶ能力すなわちこどもにとっては生きる力ともいうべき能力の原点になるのです。
 このあやし遊びは、まさしくベビーヨガがもたらす効果と一致するといえるでしょう。

 

2.子どもと保育者(大人)の関係性=遊びの共同性
  
  十年ほど前から「最近子ども達の遊びがきれいな感じがする」とか、決まりきった玩具(ボールやブロックなど)を使い名前のある遊びをする姿が目に付くといった声を耳にします。子どもを取り巻く自然環境の後退という単純な理由からではなく、大人の遊びに対する態度との関係が大きいと考えられます。大人(保育者や養育者)がしかけた遊びを、子どもが遊びとして膨らませ楽しんでいるとは限りません。子どもが「遊ばない、遊べない、遊ばされる」ような状況が作りだされているとも感じられます
 以前私が勤めていた幼稚園の年長組と年中組で取り組んだ「お店屋さんごっこ」を例に挙げてみましょう。
 それは、五種類ほどのお店が園庭にバランスよく配置され、それぞれのお店(各お店には先生が一名ついている)を決められた順でめぐり、列を作って順序良くお買い物していくという展開でした。もちろん、その日まで、出す品物を子ども達が制作しながら保育は進められていきました。行事反省会にて、職員の声をまとめたところ「友達関係が深まったうえ、異年齢児同士仲良く交流でき楽しく遊べてよかった」というものでした。この幼稚園(遊びを主な教育内容に謳っている園)では、以上のような取り組みによって、望ましい経験が得られたとしてプラス評価されたわけです。管理され規制された遊び、すなわち組織化された望ましい遊びの中子どもの真の成長は果たしてありえるのでしょうか。ところが、このように述べますと、「では、大人が子どもの遊びに関与してはいけないということになる」という解釈する先生もいることでしょう。当時先生一年目の私も、そのときは何の疑問も持たずにそう思ったことでしょう。しかし「指導」や「誘導」という言葉に過敏なまでに反応するあまり、子ども達が「主体性」というなのもと放置されているという実態も見受けられるのです。保育者(養育者)の保育が「子守化」してしまってはいけません。「遊びは子どものもの」であるかどうかについて、もう一度考え直してみましょう。子どもが「遊び」を知るのは、そのこどもを相手にして周囲の大人(年長者)が遊んでくれるからです。お母さんやお父さんが遊んでくれなければ、おばあさんやおじいさんでもよいのです。あるいは保育士や近所のお兄さん、お姉さんでもよいのです。誰か「遊び」を知っている年長者がその子とたっぷり遊んでやればよいのです。「遊んでもらう」ということは「愛される」ことではないでしょうか。「遊び」とは、幼児に対する大人の特殊な態度=ある愛の形だと思います。子ども達がかわいいから、大人は子ども達相手に「遊び」はじめるのです。たくさん「愛される」=「遊んでもらう」ことによって、はじめて子ども達は自分自身で「遊べる」存在に成長していくことができるのです。

 

3.子どもの遊びとその課題

  現在の、子ども達の遊ぶ環境は、経済の高度成長とともに大きな変化の中におかれてきました。川や海が汚染されて泳いだり魚を取ることができません。安全の教育的配慮ということで、そこに近づくことですら禁止されている現状です。道路は車に占拠され、街角にあった、空き地は駐車場に変わり、遊び場を失った子ども達は家庭の中で過ごす時間が増える一方です。家に閉じ込められた子ども達は、孤独な遊びをするしかありません。とくに商品化された玩具の流行は一層拍車をかけるように、より強い販売競争力をつけるため商品はどんどん改良され、より実体に近い(ほんもの)ものにエスカレートしてきました。以前、「ままごとごっこ」といえば、落ち葉を食器にしたり、枯れ枝を用いてお箸に見立てて遊びました。このとき、子ども達の内部にどんなことが起こっているのでしょう。遊び道具が本物でないが子ども達はあらゆる機能をつかって、イメージを膨らませ心に描き、それに似せても模倣遊びをつくりあげているのです。当然、そのイメージと実体とでは、かなりのギャップはありますが、今商品化されている本物に近い玩具は、子ども達の想像性や工夫して遊びを楽しむ意欲を必要としなくするものばかりです。このように、遊びの中身は玩具の質が変わったことによって大きな変化が起こってきました。これは遊び場がなくなり、遊ぶ時間や友達(仲間)も少なくなったことと合わせて大きな課題となるでしょう。
 「遊び」とは、そもそも大人と子ども狭間に発生する現象で大人が、幼い子どもとコミュニケーションする際にとる態度が、遊びなのです。例えば、大人が二、三歳の子どもとジャンケンをする場合、
本気でジャンケンする大人はまずいないわけで、このように子どもの相手をするときに私たち大人はどうしても遊んでしまうわけです。すなわち、「遊び」とは大人がとるような態度のことを言います。
 子どもはいつだって真剣なのですが、それを遊びと感じているのは大人の視点です。だからこそ大人が遊べることが必要なのです。大人が子どもに遊びをしかけ、本気で遊びを楽しむ関わりがなければ子ども達の遊びは存在しないといっても言い過ぎることはありません。繰り返し強調しますと、子どもを取り巻く遊ぶことのできる大人たち(この場合大人限定でなく、年長者と表現したほうが適切です)の援助によって、子ども達は「遊び」を知り「遊び」の世界を体験することができるのです。

   {参考文献}
      「遊びと子どもの発達」「子どもの発達と教育」木下竜太郎
      
      
   

第3章 文化としての遊び

   
   アソシエイトから提案するベビーヨガとは、親と子どものボデイセンスを高め、日本に根付いた文化背景や日本独自の子育て方に基づいたものであります。
 プログラムに取り入れている呼吸法、「丹田呼吸法」は下腹の意識をより深めて呼吸を行うことで、精神が安定し、心に余裕を持って子どもと向き合いながら、子育てを楽しめるという効果があります。
 日本のことわざで「腹がすわる」・「胸をはる」など身体で表現する身言葉が文化として定着しているように、昔の人たちは日常生活の中でその身体性を高めてきた歴史があります。
 身言葉にかぎらず、様々な表現の形がある、この国のすばらしい文化の一部を知ることで、「日本の育児法に基づいたベビーヨガ」であることの意味を深く理解していただけたら幸いです。
 
 

  

1、子育て
   
  ・「子育て」という言葉
    私たちは、生まれた子どもが成長することを「育つ」といいます。子どもの成長をかたわらから保護し教え導く行為を「育てる」といってきています。その語源について、こんな説がありました。コソダテの由来は「コ」は小さいを意味し、「ソダテ」の「ソ」は漢字をあてると人間の背であり背中を意味します。更に「後」をも意味します。現在の日本語で「ソ」一語で意味の通じる言葉はありませんが、万葉集、古事記に背すじ・背びら・背むく・背そり立つ、というように、背という言葉が出てきます。「タツ」は現象や物事が上昇、前方に向かう動きが明白に見える意味であります。ソダテとは「背立て」であり、人間の背を高くすることにほかならない。そして、コソダテとは人間として成長終えた誰かが小さな人間である子どもの背を高くする営みであるということ。あらゆる生物の成長の指標を「背が立つこと」をもとめるところに日本民族のコソダテ観があったということ。
 「背くらべ」という歌、背広などのつく言葉は現代にも生きているだけでなく、実際の子育てにおいて「背」はさまざまな役割を担ってきました。私達が日常使用する「背」のつく言葉のなかに背丈、背格好、中肉中背、背中など成長に関わる言葉が多いことに気づきます。また、背負い投げ、背筋が寒くなるなどは、背中の後をさすことばであることにも気づきます。背広もまた男性用としての言葉です。このように日本人の生活の中で「背」という文字は大きく、頼りになるそして成長に関わる大切な役割のある深い意味を持って使われてきたのです。
   
  ・スキンシップと遊び
    子どもが生まれると、家族は抱いてあやしたり子どもの世話をします。母親は子どもと添い寝し、寒いときは懐にいれ、時には肌に(おぶい手の着物の下にいれて)背負います。このように日本の子どもは多くの人たちとの身体接触をもって育てられてきたのです。人間の健全な発達には乳時期における母親との身体接触が不可欠であることは承知の通りですが、このことがその後の文化的、社会的行動に大きく影響を及ぼすことも多くの研究者によって述べられています。
 また日本と米国に関する育児方法の比較では、日本のほうが母子間の接触が濃厚であるといわれています。添い寝の際、歌って聞かせるあやし歌や子守唄は、子どもをあやす母の手のリズムや背中をゆするリズムと共に子どもの身体に深く心の奥深く浸透していくでしょう。その中で日本人固有のさなざまな感覚、リズム感が芽生えていくものと思われます。
 その例を、私達はアフリカのさまざまな種族がそれぞれのリズムを持って踊っている姿にも見出すことができます。彼らは子どもを自分の身体にくくりつけて行動します。働く母親のリズムは種族のリズムであり、子どもは炊事、洗濯、農作業などで働く母親のリズムを密着した身体から直接学び取りながら成長し、種族のダンスが持つ独自のリズムを身につけていくのです。日本でも子育てにおけるこうした母親とのスキンシップや身体接触が日本人固有のリズム、旋律の誕生、伝承に大きく関わってきたといえます。
 さらに、子どもにとって、背負われるということは、大人の目の高さから世界を見ることができるすばらしい経験であり、子どもの心に夢と喜びを与えてくれるものです。しかし、このような育児習慣は、若い世代に積極的に取り入れられているわけでなく、むしろ失われつつあります。日本の将来を担う健全な子どもの育成のために、国際社会人となるために必要な日本文化の伝承にとってこの現象は悲しいことです。

  ・子育てのスタイルと遊び
    「背」ということばは今も昔も重要な意味を持って使われてきましたが、実際の子育てのうえでもその役割はとても大きかったのです。「世界には子育てのための代表的なスタイルとしてだっこ・おんぶの二つの形がみられます。欧米諸国では抱くを主流とする抱っこ社会であり、アジア地域の中でもとくに日本では、背負うを主流とする、子守のスタイルとしておんぶ社会である」といわれています。実際に日本では、子守スタイルとしておんぶ・おぶうが長く続いていました。
 「縄文時代からこのスタイがとられていたことを、石川県の上山田塚から出土した縄文式の土偶がこどもをおぶっている姿をしていることが証明されています。明治初期前後に来日した欧米人はこうした子守方法を目にしたとき「日本の子どもは伸び伸びとっそして大切に育てられており、日本は子どもにとって天国である。欧米諸国では子どもは乳幼児期から子供用ベットに一人で寝かせられ、窮屈な衣服に包まれ過ごしている一方、日本の子どもは着物という開放的な衣類を着て、自由に遊んでいる。また、赤ん坊は常に母親の背に乗っている」とその感想を述べています。
 こうして日本の赤ん坊は古代より親の背にくくられてスキンシップを十分に味わい、そして歩けるようになると親の背をみて育ってきたのです。欧米諸国は「だっこ社会」であり、乳幼児期の頃から、
親は常に自分の子どもの表情やいい方を正面で向き合った位置関係の中で受け取ろうとしています。その中で他者に背を向けることは拒否的意味をもっています。一方、日本は「おんぶ社会」であり、子どもは乳幼児期のころから親の背と接触し、背に親しんで育てられてきました。その中では他者に背を向けてもなお、コミュニケーションをはかれる「以心伝心」、「暗黙の了解」という沈黙による伝達方法が息づいていたのです。この伝承方法では、背中の後ろにある何らかの存在や気配を感じ取ったり、昔から何かを発進したしていることを意味しており、背中が身体の正面と同様に人とのコミュニケーションをはかれる価値ある存在であることを意味しています。このように、日本人は背中を価値化してきたのです。これは日本文化の大きな特徴であり、伝統のひとつとなっています。
  日本人は子ども時代から背中や背中の後の空間にこだわった生活や遊びを多く親しんできました。例えば表2に示されているように「肩車・おんぶ」では相手の背や背後から自分の身体を密着させて遊んでもらっています。「ポコペン・かごめかごめ」では鬼の背後に来た人を言いあてて遊びます。「かくれんぼ、かんけり・だるまさんがころんだ、はんかちおとし」でも、いずれの遊びも鬼になった子どもが背後の気配を感じ捉えて言いあてて遊びます。ここは直接的な会話ではなく、沈黙による伝達方法がかかわっていると考えられます。

                   表2  日本の伝承遊び
  
         (「伝承遊びと日本人の身体性に関する一考祭」・川村はるこ)

 A向き合って関係を持つ       B背後から関係を持つ      c 横・集団の連帯感

 1接触あり                1接触あり (声・身体)       ・花いちもんめ

 ・すもう                  ・肩車                 ・いろはにこんぺいとう   

  指すもう                おんぶ                 ・おにごっこ 

  腕すもう                目かくし                  こおりおに 

  けんけんすもう            ぽこぺん(人あて)            いろおに

  座りすもう               かごめかごめ               たかおに 

  輪つなぎすもう           2存在・動きの気配を           てつなぎおに

 ・お手合わせ              感じる                   ・いすとりゲーム 

  みかんの花              ・かくれんぼ                ・とおりゃんせ 

  おちゃらか               ・かんけり

  1本はし                 ・だるまさんが転んだ

  なべなべ                ・はんかちおとし

 2接触なし               3風景の気配を感じる   

 ・じゃんけん                ・あぶくたった

 ・あっちむいてほい            ・ことしのぼたん

 ・花いちもんめ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このように日本人が受けついできたこの伝達方法では、人は「背」から他者の言葉や身体表情に潜んでいるメッセージを読み取ってきました。日本の子どもは背を向けて家事をしている母親とコミュニケーションをとります。また新聞を読む父親の背にもたれかかったり、背をよじ登ったり、背中に抱きついたりして遊んだり、うつぶせになっている父親のせにまたがり、お馬ごっこをして、身体接触をたのしだりもしています。これは子どもが父親背や大人の背の後空間を安心して遊べる場所だと感じているからです。また、東北地方ではツグラ・エギコと呼ばれる保育器を使用して子育ての助けとしている例があります。農作業、家事が忙しく人での足りない農家では、赤ん坊はこの保育器に入れられて、一日中働く親の後姿を見てそっだたと聞いています。おそらく、農作業に忙しい親達の背を向けられて、直接話しかけられることも少ない中で、子どもはその場の雰囲気を察する感覚を見につけてきたものと思われます。これも日本の背にかかわる子育て方法のひとつといえるでしょう。
 このような状況の中育ってきた日本の乳幼児は親や他の大人の背に接する機会が多く、背がもつ気配や雰囲気を受け止めて読み取る能力を養ってきたのではないでしょうか。「以心伝心」という日本独自の伝達方法はこのようにして育まれてきたと考えられます。「子は親の背中を見て育つ」ということわざにもありますように、子ども達はこうした日常生活習慣やしぐさからも遊びに沈黙による伝達方法を取りいれていったものと思われます。
子どもにとって、大人の日常生活に見られる行為、習慣や祭事などの行事における役割は、まねしてみたい魅力あふれる憧れであることが多かったのです。これは私達の子どもの頃の思い出せばすぐに理解できることです。子どもは、そのあこがれの興味のある部分だけを抜きとり、まねして子どもの遊びに取り込んだのです。近年まで東北地方の農村地帯では、田植え休みの時期になると、若者が集まっては「かごめかごめ」に近い遊びをしていたといわれています。その中央に一人の若者を座らせた仲間の輪は、ひとつの文句を繰り返しながらグルグルと回ります。しばらくすると中央に座る若者は一種の催眠状態に入ってきたところで、仲間と問答を始めるそうです。「かごめかごめ」では、子ども達はこの青年たちのあそびのおもしろい部分ぬきとったというわけです。「かごめかごめ」の遊び方の特徴のひとつは、誰もが知るように鬼が目を閉じて、後に来た友達の名前を当てることです。鬼になった子どもは自分の後ろの気配を背中いっぱいに感じ取り、真後ろに来た友達が誰なのか言いあてるのです。表2に示すようにこうして、日本の伝承遊びは、生活、習慣、行事、子育てなどのかかわりの中ではぐくまれてきたと考えられます。
  
   2日常の生活動作

 ・「屈む」(かがむ)と遊び
   つい、最近まで、「ヤンキー座り」と呼ばれる姿勢で屈みこんでいる若者達の姿を多くにかけはいませんか。当時、その姿勢は一部の若者達の間で流行していたファッションのひとつという評論家がいました。別名「うんこちゃん座り」といわれ
他のタイプの若者達や大人から白い目で眺められてもいました。しかし、ほんの少し前(第二次世界大戦直後)まで町や村の中でごく普通に見られた、誰でも自然に親しんでいた姿勢でもあったのです。町の横丁で井戸端会議、洗濯しながらのおしゃべり、職人さんたちの一服の姿勢、田んぼの道での農夫の一服姿勢。このように「屈む」は日本社会の中でごく普通になされていた姿勢だったのです。ところが、大戦を境に事情ががらりと変化してしまいました。敗戦による異国の日本占領は、日本のさまざまな文化の欧米化、日本人自身もまたそれを目指して走ってくる結果につながったのです。そんな中で日本の生活に根ざした習慣や身体的動き、姿勢の一部は徐々になくなってしまったのです。そのひとつが「屈む」姿勢です。今でも韓国・東南アジアでは「屈む」姿勢でいるのをテレビ画面をとおしてよく目に入ります。
 実際、私の在日韓国人の一世にあたる、祖父母は食事をするときも、会話をするときも、作業をするとき、常に片ひざをたてて、「屈む」姿勢で過ごしています。
 東南アジアの地域の物売りたち人々が「屈む」姿勢でいるのをテレビで目にしますが、日本の日常生活の中にもその名残を見出すことはできます。たとえば、かまどで米を炊く、風呂をたく、雑巾がけ、入浴中などの姿勢は欧米ではもかけることのできない、「屈む」ものです。ふだん、日本人は頻繁に使用する物を低いところに置き、必要なときは屈んで取り出したりしていました。今の住宅にみある床下物いれなどがその例としてあげられるでしょう。それから、日常生活で使っていた和式トイレのスタイルも「屈む」姿勢です。ここ数年洋式トイレが一般的となり、若者のなかでは「屈む」姿勢が苦手な人が増えています。たとえば、合気道には「屈む」という姿勢が、その運動の基本として大切にされています。しかし、この姿勢をとることは現代人にとって」苦痛が伴い、学習するための努力がかなり必要とされるようです。子ども時代にこの姿勢に馴染んでいいたはずの中年の人でも「屈む」姿勢が苦手になってきている傾向にあります。これは、日本人が子どもの頃からの日常生活の中で、身体の柔軟性や動きの巧緻性を育んできた証であるといえるでしょう。
 私の父は、私が幼い頃、鉛筆削り機が家にあるものの、よくカッターで色鉛筆の芯の部分を機用に削ってくれていました。父の話によると、昔の人達は、鉛筆削りという便利なものはなく、宿題をし終わった後で大人が小刀で鉛筆を削ってくれいたそうです。そのうち子どもはみようみまねで自分で小刀を手に取り削ったのだと思います。ですから、今の子どもにはむつかしいりんごの皮むきという作業も父や祖父母の世代にとっては実に優しい、当然できることだったのです。
 絵も自分で削ったたけぺンを用いて描いたそうです。私の小学校時代、工作の授業で風車を作るため、割り箸・豆・色紙など材料は自分でそろえて組み立てたものです。色紙の羽がうまく回るように削ったり、針金を曲げたりして、頭と同時に手先をフルに動かして制作に没頭していました。
 学校に関することだけでも子どもは頭脳と同時に身体の様々な動きを伴って活動していました。日常生活全般ではさらに、身体の機能をフル回転させて暮らしていたことを想像してみてください。
 現在、日本人としての、身体の動きの特徴が、このように大きく失われてきたのは、日本的生活様式や、日常生活に動作が変化し、失われてきたからだといえます。したがって、いま日本で残っている、伝承的行為・伝承遊びを子ども時代に楽しみ、身につけることは、文化を伝承し守っていくことだけではなく、日本人の特徴的な身体の使い方、感じ方を失わないためにも大切なことなのです。また、私たちは「屈む」姿勢を伝承遊びの中に多く見つけることができます。「かごめかごめ」の鬼は友達の作る輪の中で屈んで遊んでいます。「下駄かくしゅうれんぼう」では屈んで下駄を指差して遊びます。砂に両手を入れて色々な形を作り出す遊び、おはじきなども屈んで遊びます。この「屈む」姿勢は欧米では見られない日本の伝承遊びの特徴的動作となっているのです。
 
 ・「摺り足」と遊び(すりあし)
   「西洋人は腰で歩き、東洋人は膝で歩く」とよくいわれています。パリの街角を歩く女性たちは長い脚をさっそうと蹴りだし天に伸びるようにして歩いています。男性も同じです。典型的な日本人女性の歩き方としては、着物姿での歩きが思い起こされます。内股・摺り足、ほんの少しひざうを曲げて前進しています。(現在はすこし子と異なっていますが・・・)この歩き方は摺り足と呼ばれ農耕や山歩きに有効な歩き方だったのです。膝を曲げ、前かがみになり、後の蹴り足で前進し、足場の悪いところに適した歩き方だったのです。それが狂言・武道(剣道・柔道・合気道)・相撲に取り入れられ、それぞれの目的にあった足の運びとして完成していったのです。日本人の日常生活の中で摺り足という動きは伝承遊び(表2参照)とくに歌を伴うわらべうた遊びの移動やまりつきあそびの動きに多く残されています。このように、日常生活で私達が無意識にとっている姿勢や動作が伝承芸術・スポーツ・そして子どもの遊びに大きくかかわり、さまざまな完成されてきたことは実に興味深く、楽しいことではないでしょうか。
  
 ・背の後と遊び
   遊びと背や気配のかかわりは「子育て」の項で書きましたが、日常生活の中に後という空間、後の気配を意識するものがいくつかありましたので紹介します。
 華道では、空間は前・後・横と分類され、それぞれ重要な生きた位置を占めています。日本舞踊では人の持つ背中字体が表現するものであると考えられ背中による表現の形を幾とおりも練習しています。韓国舞踊も実は共通する動きがたくさんあります。摺り足で重心を内くるぶしにおとしながら後から移動する動作があったり、背中を正面に向けて踊る場面も多く出てきます。西洋の舞踊、クラシック・バレエでは、逆に、できるだけ正面を向く動きが多く、また、相手と向き合って踊りながら作品を進行させていきます。とても対照的ではありませんか。
 日本では荷車・人力車・背負いかごなど人の後に運ぶ物を置

き、逆に欧米では、多くの場合前に運ぶ物を置いています。さらに興味深いのが、女性の着こなしにも、後との関係がありました。背方向で結ぶ和服の帯、頭の後ろにさすかんざしなどの首飾りも後方向へさすのです。このように人の後ろ空間にこだわった私達の生活は、伝承遊びわらべ歌遊びに大きなかかわりを持って、その今の形を伝え続けたのでしょう。前項で紹介した「だるまさんがころんだ」、「かごめかごめ」などのあそびもその例としてあげられると思います。 

  {参考文献}
     「日本子育て物語」筑摩書房
     「遊びと日本人」  筑摩書房
     「伝承遊び辞典」 芸術教育研究所
  

     
    
  第4章 遊びの実践

   半年間にわたり、保育現場で実践した記録をもとに、遊びで大人と子どもの間に生まれたもの、子どもにとっての遊びのあり方について考えていきましょう。
 社会的な遊びの起源は、一人遊びとは別にあります。それは生後一ヶ月の赤ちゃんに現れる、一人にされると泣き出し、人がそばに行って声をかけたり、顔を見せると泣き止んだり、微笑んだりするという、基本的な関係性に基づいています。この関係性を喜ぶということが遊びになったのが、いわゆる「いないいないばあ」ということです。
 たくさんの社会的な遊びのなかでも子どもにとって大人が一緒に遊んでほしい時期に、ぜひ遊んでみてほしい年齢(ベビーヨガ対象年齢の0歳~1・5歳の子どもを中心に)をおって紹介したいと思います。いずれ、子ども達は、成長と共に子ども達と遊ぼうとする大人でたちの援助を必要としなくなる時がきます。それは子ども達同士で遊べる力が備わってくるからです。
 では、まず乳児期の遊びで、もっともよく知られる「いないいないばあ」と「たかいたかい」(
親子で楽しむヨガとして取り入れてる、ヒコーキのポーズ)です。これらの遊びは単純で基本的な遊びだからこそ、バリエーションがつけやすく、故意に変化させなくとも、子どもの成長に伴って見事に発展していく遊びでもあります。そういう意味では、その時期にその時期に適した大人のかかわり方が重要になってくるといえるでしょう。

   1・保育士と遊ぶ「いないいないばあ」
   
(東京都・私立S保育園・生後3ヶ月の男児・E君のケース)

  E君:   ベビーラックに寝かされています。
        ぱっちり目を開けて見える範囲のものを観察しています。
        何か刺激がほしいようです。
  保育士: そばへ寄り、まだ首がフニャフニャ安定していないので、E君が真上を向いて
        寝ている姿勢よりもう少し目と目が合わせやすくなる程度におこします。
  E君:   保育士との目はあっておらず、その後ろにあるどこかを見ている様子です。
  保育士: 「E君、E君」と優しく声をかけ、舌をならしたり、手をたたきながら、こちらを見    
        るまで名前を呼び、目が合ったところで「せんせい、いないいない・・・」といい
        両手で顔を覆い、「ばあ」で開きます。
  E君:   保育士の顔をじっと見つめたまま、両手を握りしめ、手足は動かずとても緊
         張している様子です。
         この動作を2、3回ゆっくり繰り返すと今度は、握り締めていた左手だけを
         開いて指を動かし、両足をつっぱるように、足指をそらせて、大きなまばた
         きをしました。
  保育士: 4回目、言葉のかけ方に、少し変化を加えて、「いないいないいないよー」
         とスピードを早くしたり、遅くします。
  E君:   つっぱっていた両足を縮めて、緊張がほぐれた様子。(月齢の低い乳児の
         場合、特に下肢=両足による表現がとても豊かで、微妙な反応を示します)
         口元がかすかにゆるみ、舌がみえて少しばかり、笑ってるような表情に変わ
         りました。
  保育士: 5回目、同じテンポでもう一度「いないいない ばあ」をします。
  E君:   一瞬、間がありましたが、今度ははっきり微笑み 「あーうー」とおしゃべりしま
        す。 そして7回目、ついに「いないいない・・・」「ぱっ」と保育士が顔を出す前
        にe君が、先に「へっ!」っと発生しました。それはまるで、いまかいまかと
        保育士の顔が出てくるのを待っているかのようでした。その後は、保育士の声
        と動きのリズムに合わせて、笑い声をだして、足や手を大きくパタパタさせて、
        身体いっぱいに楽しさを表現していました。
       
  ~E君は、この日、生まれてはじめて「いないいないばあ」を体験しました。ご両親の話によると、家庭ではまだやったことがなかったそうです。生後3ヶ月の乳児で、ましてやはじめての体験(1・2回目)で、いったん消えた保育士の顔が現れる楽しさはわかりません。即座に反応が返ってこないからといって、遊びにならないわけではありません。子どもの表情や身体表現をよく観察してみながら繰り返すことで、E君の大脳も新しい刺激に対して情報処理を行うべく、フル回転し、さらに全身を使って表現しているのです。保育士の顔が隠れても出てくる関係を、この数回のかかわりの中でE君が認知できたという事実から、赤ちゃんの持つ能力の大きさが理解できるのではないかと思います。

   (生後6ヶ月の女児・Yちゃんのケース)

  Yちゃん:支えなしで一人で座れるYちゃんは、自分で腹ばいになり、保育士がたたん
        だ、重なっている数枚の洗濯物をバラしだしました。
  保育士: 「めっ!」とかるくにらみます。
  Yちゃん:まったくこたえていない様子。どれどころか余計におもしろそうにどんどんちら
        かします。3枚ちらかし、4枚目に入ろうとしたところで、
  保育士: その洗濯物をつかみ、手加減しながら、Yちゃんに渡すまいと引っ張ります。
  Yちゃん:保育士に取られまいと必死に片手で引っ張っています。
  保育士: 腹ばい姿勢が少し窮屈そうに感じたので、Yちゃんを抱き、たたみの上にお
        座り姿勢にかえました。つかんでいた洗濯物を、ふわっとYちゃんの顔に覆 
        いかぶさるように、わざと放り出しました。
  Yちゃん:洗濯物を握りしめたままです。自分の顔を覆った洗濯物をとろうとしてか、
        偶然なのか、手を動かした拍子にとれました。
  保育士:その瞬間、待ってましとばかりに、「ばあ」と言葉をかけました。
  Yちゃん:少し驚いたようにビクンとしますが、あっという間に満面の笑みになり、お座り
         したまま、おしりを盛んに上下に動かします。
  保育士: Yちゃんの顔をまた洗濯物でかくします
  Yちゃん:両手でひっぱり、おろそうともがきますが、なかなか下に落ちません。
  保育士: Yちゃんがもがいている間、「Yちゃん、どこですか??」「いないいないねえ」
        などとリズミカルに話しかけます。
  Yちゃん:やっとのことで、洗濯物が落ちた瞬間に
  保育士:タイミングよく「ばあ!」と声をかけました。
  Yちゃん:おしりをピョコピョコさせ「えーえー」といって大喜びし、このやり取りが延々と
        続きましたが、飽きることなくYちゃんはよだれをたらして、その楽しさを身体
        いっぱいに表現してくれました。

 ~以上のように、「いないいないばあ」ひとつ取り上げても、それぞれ、子どもたちの育ちにあわせた大人達(年長者)の関わりが必要であることがうかがわれます。そして、このかかわりは「いないいないばあ」遊びだけにこだわらず、すべての大人と子どもの遊び、すなわち、子どもと遊べる大人に必要不可欠なのです。たとえ、他の遊びをとり上げたとしても、遊び方が違っても本質的な部分、遊びの本体は変わらないのです。遊びは独立しているわけでもありません。ひとつの遊びがどんどんエスカレートし、発展的に次の遊びつながっていきます。子どもをあやしたり、なだめたりしているうちに、いつの間にか遊びに発展していることがあります。「いないいないばあ」のエピソードにあるように、子どもの育ちを見守りそれに応じていく大人の態度がその子の「遊ぶ力」を育てることになるのです。

  
  2.保育士と遊ぶ「たかいたかい」

  (満2歳の女児・Kちゃんのケース)

  Kちゃん:保育室の畳の上で布遊びをしています。布を両手に持ち、マントのようにして
         「ブーン」といいながら、ヒコーキのように、保育士の周りを楽しげに走ってい
         ます。
  保育士:  「もっと、たかいたかいする?」とKちゃんに声をかけます。
  Kちゃん: 「やって、やって」と勢いよく、飛び跳ねながら保育士に飛びついたと同時
          に
  保育士:  横抱えにして、「ブーン」といいながら、大きく室内を一周しました。これを
          何度か繰り返します。
  Kちゃん: 「もっかい!もっかい!(もう一回)」とうれしそうに言うので
  保育士:  ゆっくり仰向けになり、両足を真上に伸ばし、一度ひざを曲げてからKちゃ
          の胸から、お腹あたりを当てて、水平に乗せKちゃんの両手をしっかり
          握りました。
  Kちゃん:  少しづつ保育士の両膝を伸ばす途中、「こわい、こわい」と小さな声で
          訴えました。
  保育士:  「だいじょうぶ、だいじょうぶ」となだめながら高く上げていきます。
  kちゃん:  何度もずり落ちそうになりますが、そのたび、うまくバランスをとって水平を
          保とうとします。
  保育士:   バランスが崩れそうになるとまず、Kちゃんの手を支えておいて、両膝の
           バネを使って、ヒョイと小さくKちゃんの体を浮かせて修正してみました。
  Kちゃん:  そのたび、前髪がフワッと浮き上がり、この刺激がたまらない様子で、ケラ
          ケラ笑い出しました。慣れてくると、自ら、両手を広げ両足をまっすぐに
          緊張させ、「ブーン」とヒコーキを演じています。
  保育士:   今度は、両膝を大きく曲げて「ヒューン」といいながらヒコーキを急降下さ
          せます。Kちゃんの顔が保育士の顔にグーンと近づきます。当然、バラン
         スが崩れそうになるので、Kちゃんの両手をすかさず握ります。
  Kちゃん: 急降下はエレベーターのように、スーっとしたスリルな感じに似ているのか、
         楽しくて、楽しくて仕方がない様子です。この動きを何度か繰り返し、
         保育士の顔が近づいたり、離れるたび、声をあげて笑いどうしです。
         とうとう、興奮しすぎて、よだれが保育士の顔に落ちてきました。
  保育士:  「わあ!たいへんKちゃんのよだれの爆弾だ」と叫んで、水平飛行に戻るこ
         とにしました。
  Kちゃん: もう慣れたもので、余裕さえ感じられます。「キャーキャー!」と叫びます。
  保育士:  Kちゃんの好きな「それいけアンパンマン」のテーマソングを歌いながらこの
          ヒコーキ遊びをもう少し、楽しみました。

 ~さて、ここでKちゃんの内面で一体何が起こっていたのでしょうか。保育士との安定した関係が成立したといえば簡単なように聞こえてしまいます。Kちゃんは身体機能をいっぱいに活用し、よりたくさんの機能を発達させたといえなくのありません。また保育士と共同して遊び、共同して喜びに達するということは、一人遊びの喜びを超える学習でもありました。ここでは、道具・器具は使わず、代わりに「保育士」という道具があって成り立った「身体遊び」だったととらえることができるでしょう。
 「遊び」は必ずしも楽しいものというわけではなく、失敗や挫折など、様々な葛藤もすべて含みます。問題となるのは、形(外面)でなく中身(内面)であり、量ではなく質だということでしょう。遊びは形ではなく中身が大切であるということです。
 ベビーヨガにおいても、親と子の肌の触れ合いからスキンシップを深め、身体の声を聞き
多くの感覚を経験することで、内面(内観力)を高めることを目標としています。
生まれたばかりの赤ちゃん、その親のもまた、身体も心も、そして子育ても、千差万別、十人十色であるように、触れられて心地よさを感じるレベルも様々です。そして
 遊び方も同じく、ひとりひとり違って、遊びで表現される形も変わっていきます。大切なことは、一緒に遊ぶ大人が、愛情をたっぷりこめて、慈しみの気持ちをもって、ああでもない、こうでもない、と思いながら色々な遊び方を試してみることで、毎日全身全霊をこめて、遊ぶ子どもは、さらに心も身体もより健康に育っていくのではないかと私は思います。

  おわりに

    子どもの「遊び」で育つもの・・・夢中になれる遊びを見つけられる子どもは、健康で幸せだと思います。なぜなら遊びの中には、指先・足先・頭など区別がなく身体の中にまどろみながら、運動能力と感性を身につけることができるからです。「遊びを楽しむ力」を育てるということは「人生を楽しむ力」につながっていくのではないでしょうか。
 ベビーヨガも、まさしくこの「人生を楽しむ力」を養うことができるものだと私は考えます。
今日にいたるまで、受け継がれて来た日本の文化・生活の知恵にもとついたこのプログラムは、今を生きる人たち、これから生まれてくる未来の子ども達に伝えていきたいものでもあり、いきいきと目を輝かせ生きる力を獲得することにつながっていくことを心から願っています。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

論文提出:2008年1月/原稿 28.000字

提出者:第一期修了生 池りょんみ

 

 

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